正法とは神の心
イエスも釈迦も、自他の観念で
慈悲や愛を説いたのではありません
自分の中に大宇宙を発見していたのです
肉体の自分と、もう一人の自分を知っていました
もう一人の自分は全なる自分です
他人と自分の区別はそこにはありません
人を憎むことは、天に向かってツバするのと
同じことになるのです
他人はいないのです
全部自分です
しかし、現われの世界では
他人と自分は別々に存在します
だから、その表現は、相対的ないいまわしになってきます
「汝らの天の父の全きがごとく、汝らも全かれ」
もうこうなると、正法の何たるかが明らかでしょう
道徳は、こうした自他一体の悟りを基点として培養され
相対的な観念を軸に、横に広がったものといえます
正法と道徳は別物ではありませんが
しかし道徳は社会生活の規範であるのに対し
正法は、その規範を超えた神の心
そのものであるといえましょう
- 心眼を開く より-