Shantra

Shantra Diary

主に未来、精神分野

カルマ(業)の修正とは2

業とは、通称人間の「ごう」ともいう

前世において肉体修行をしてきた生命にも

あの世で修正するための生活をしてきた者にも

その意識の中には未だ少しは残っているものである

 

この「ごう」を私達は、この現象界において

修正するために肉体を持つのであるが

人間はともすると、肉体舟の眼耳鼻舌身意の

六根に振り廻され、己を失いがちになる

 

長い年月の間、人類はこりることもない

闘争と破壊の歴史、業の歴史を続け

物質文明の名を借りた破壊文明を築き上げてきてしまったのである

 

すべて原因と結果の法則に従って

私達は転生輪廻をくり返してきたのだが

もはや、人間として、その価値、そして目的を

考えなおすときがきたのではないか

 

資本主義といい社会主義というも

すべて物質経済を基盤としての思考であり

精神すなわち人間の心からの考え方ではない

 

物質経済のその上に心を置き替えないかぎり

神意である真の調和は生まれてこないといえる

 

他の動物は弱肉強食の本能性しか持って生きていないが

私達は万物の霊長であり、神仏の子としての神性

仏性を持っており、人類の相互理解と調和の中に

完全なるユートピアは築かれて良いはずだ

 

私達人間は目覚めなくてはならない

一国家の神格化ではなく

地球人類の神格化にである

 

太陽の熱光は、万象万物に平等であり

決して一国家の独占物ではない

 

神は全人類の心の中に存在するものであり

信心とは、己自身個々の心を信じることである

 

己の心を悟れば近隣人への調和に進む

さらに町や村の調和に、やがては一国家

全世界の調和へと、発展しつながって行く

 

それにはまず、各人が各人の神性

仏性への悟りから始めねばならない

 

個々の不調和な業を修正することが先決であり

次に人類の闘争と破壊の業を

調和と安らぎによって修正しなくてはならない

 

たとえ小さな種でも

やがて全世界の一粒の麦となるよう

正しい正法の種を人類の心の中に植えつけねばならないのである

 

一人の悪業の修正が、社会の業の修正となり

やがて人類が再び自然に帰るという

真理に到達することを思うべきである

 

- 高橋信次より -