Shantra

Shantra Diary

主に未来、精神分野

宗教やスピリチュアルの枠を超える時代

数億年の人類の歴史から見て

今回の文明は8つ目に当たります

超能力、食の追求、芸術、悟性、科学

そして現代は知性の文明になります

 

この1万年近い文明の中で

神と呼ばれる者たちが数多く出てきます

 

ギリシャのゼウスや、日本神道天照大神

神と呼ばれる者

あるいは神の教えを説く神格者たち

仏陀やキリストなどが

地上に生まれて人びとを善導してきました

 

彼らは人びとに神のように崇められてきました

本来の神というのは根源神と言って

一つの存在なのです

 

ですが、3000年前とか2000年前とか

そのくらいの昔になると

学問も充分に通っていない人たちばかりでした

 

難しい事を説いても分からないだろうという事で

自身が神の想いを表現して

神のように崇められるようにしたのです

 

本来の神とは、根源神というのは

元々は一つの存在であって

巨大な光なのです

 

その神の光、神の愛の想いによって

私たちは分光されて生まれたのです

神のように自由に想い

そして、その想いによって万物を創造することが出来るのです

 

つまり、私たちは神から生まれた神の子であり

それと同時に神でもあるのです

神と私たちは常に繋がっているのです

 

神の子が自分であるなら、周りも神の子なのです

他人とも繋がっているのです

相手を傷つければ、いずれ因果の法則で

自分が傷つくことになるのです

全て繋がっているのです

これをワンネスと呼ぶ事もあります

 

古代の人々に、このような事を説いても

受け入れてもらえなかったのです

人の子は、人から生まれるのではないか?

なぜ神から生まれるのだ?と

物質に偏る考えでもあったのです

 

しかし現代なら古代と違って

物質(肉体)と精神(心)の二つによって

人間は構成されていると理解できる人は

増えているはずです

 

肉体という、いずれ朽ち果てる

有限的な物質の中に

意識という個性が入って

地上で生活しているのです

 

肉体がなくなれば当然

意識だけになるのです

 

古代の人々に

このような教えを直接的ではなく

神の使者たちの表現によって

より細かく噛み砕いて、より優しく説いていったのです

 

現代に受け継がれている世界的な宗教というのは

元を辿って行けば根源神に行き着くのです

ただ単に、神の使者たちが

自分の個性を通じて教えを説いていっただけなのです

みな言っている事は、同じ事で

宗派で争う必要もなく、強制する必要もなく

全てが神に繋がるのです

 

例えば、モーゼであるなら

赤色光線のエネルギーが強いです

赤色は正義を司ります

 

弱き者を助け、悪しき者を挫く

神の正義の心を持っています

そのために迷いなく、堂々と表現します

 

正義の戦いの中で、迷いというのは

隙を生じやすいのです

ですから、1か0か、白か黒か

瞬時に判断して

はっきりと自己表現するのです

 

あれをしてはいけない

これをしてはいけない

あれをしなさい

これをしなさい、と

モーゼの十戒から成るように

シンプルな教えとなっていきました

 

インドの仏陀であるなら

黄色光線になります

黄色は慈悲や法を司ります

 

とても慈悲深い方であり

その仏陀という方の個性も

教えに浸透しています

 

あの世と、この世の法則性を

2500年前の時代に説いたのです

 

人は死後も消えることない存在であり

その人の、生前の行いによって

死後に向かう世界も異なるのだと

 

善き行いをしていた者は無事に天界へ

争いをしていた者は阿修羅界へ

欲望の強い者は餓鬼界や畜生界へ

 

それぞれ、その者たちの思いや行いによって

同通する世界が変わるのだと

そのように法を説いたのです

 

それが世界的に広まり

仏教と呼ばれるものになっていきました

 

赤色のモーゼ

黄色の仏陀

紫色の孔子

青色のゼウス

白色のイエス・キリスト

 

それぞれの光線と個性を通じて

人びとに神の教えを説いていったのです

 

一つだけのもの

一神教ではなく

本来の教えは全て同じなのだと

全て神に通じるものであると

 

世界の国と国を繋ぐ通信的なもの

インターネットというものが出てきた時

一神教から多神教へ変わるのだということ

現代はその段階に来ていると言えます

 

宗教やスピリチュアルを妄信するのではなく

そのような枠内、型の中にはまるものでは無く

 

相手も自分も全て根源神から分かれた

神の子、光ある存在であるという

ただそれを信じていけるかどうか

生活の中に落とし込んでいけるかどうか

私たちはその段階に上がる時が来ているのです