Shantra

Shantra Diary

主に未来、精神分野

物質を求めすぎると不幸になる話

目に見えないモノ、神理を追い求めると

その先は希望が待っています

 

逆に目に見えるモノだけを追い求めると

その先は絶望が待っています

 

片方だけにフォーカスしても

良くないのですが

人生の中で、やはり中道が大切になってきます

 

あの世と呼ばれる実在界は

みな神理の下に生きています

それは神の心を知っているからです

神の心に沿って生きる事が当たり前だと

思っているからです

 

肉体をまとっているのは地上だけです

肉体は無くても、生命エネルギーとして

永遠に存在しています

 

現象界と呼ばれる地上の世界

物質だらけの地上で生きていくには

やはり物質が必要になります

 

自分の生命の乗り舟として、肉体は当然の事ながら

食べる物、衣服、住居、お金と

必要なモノが多いです

 

しかし、物質を追い求めるがあまり

精神的なモノを忘れてしまうと

そこに絶望が待っているのです

 

それはなぜかというと

物質とは有限なモノだからです

いずれ形崩れていくもので

無常なものです

 

自分の肉体も例外ではなく

永遠ではなく、有限なモノです

肉体という舟も老朽化していくのです

 

そのために肉体が有限なために

この世、物質だけが全てと思い込んでいると

たくさんの物質を欲しがってしまうのです

 

短い人生で、もっともっと良い思いをしようと

自分を満たす事だけを考えてしまうのです

それが、人びとを不幸にしている大きな要因になっています

 

そのために必要以上にお金、食糧、資源など

奪い合いが起こってしまうのです

 

食糧や資源がたくさんある国、乏しい国

今日も明日も生きるのが精いっぱいの国

そこには分け合いの精神がないので

貧富の差は広がっていくのです

 

もし、死んでも、次があるのなら

必要以上にモノに執着しなくなるはずです

むしろ、たくさんの執着を抱えていると

あの世の、元来た世界に還れなくなるのです

たくさんの重い鎧を着こんでいる状態なのです

 

もし、目に見えない存在も信じられるのなら

それは怖いもの、低級霊などではなく

もっともっと広大な光の存在に包まれてるのだと

そのように思うのが良いです

というより、実際そうなのですから

 

地球には地獄界が膨らみ続け

ネガティブな心境を作ると

すぐに地獄霊からアクセスされてしまいます

地球は3次元、地獄界は4次元の下層部に存在しますから

とても影響を受けやすい関係にあるのです

 

本来は神の心、愛の想いに包まれた世界なのですから

神の心に適った生き方をしていくのが良いわけです

見えないモノ、神理(真理)というものを知り

実践していく事なのです

 

 

神に出来ず、人間にしか出来ない事

神の眼から見て

人間にしか出来ない事もあります

 

それは自由意思を使い

己を表現するという事です

 

神は全ての存在に個性を与えました

個性とは自分にしか出来ない可能性を

引き出すという事です

 

つまり、自由意思がなければ

自分という個性は輝かないのです

 

そのために、神は支配をしません

どんな良い事をしても

どんな悪い事をしても

神は愛を放ち、私たちを見守り続けています

 

あーしろとか、こーしろとか

答えを提示してくるのではなく

常に自由意思を使って表現しなさい

というのが神の答えなのです

 

神は自分以外の存在がいたなら

それは一体、どんな表現をするのだろう?

そう想い、精一杯の愛を込めて

たくさんの意識体を、宇宙を創りました

 

神という存在、根源神という存在は

20次元を超えた先にいると言われています

 

その高い高い次元から

宇宙の管理者とも呼べる、14次元存在を創り出し

宇宙が創造され始めたのです

 

人間の意識レベルは4次元~9次元までになります

10次元の意識になると惑星に宿ることになります

星も生命であり、意識も存在するのです

 

人間は紛れもない神の子であるのですが

神の認識力、創造力、愛の強さ

そういうものをグレードダウンして存在しています

魂の器というのが小さいわけです

 

しかし、それは自分の個性を使って

愛を表現していくと

自分の器を大きくしていく事ができるわけです

 

これは神には出来ない事なのです

人間は神の代弁者、代行者でもあるのです

人間には人間としての役割があるわけです

 

神のために奉仕する、愛を使うとは

このことなのです

神の想いに習って生きていくという事です

なぜなら、私たちは神でもあるのですから...

 

最初からみんな悟っているわけではないのですから

自我ばかりで生きると、後になって苦しみが増します

真我で生きると、自分の器を満たし、幸福感が増します

 

長い転生輪廻を通して

山あり、谷ありの人生を進んで

結局、人びとは神の中道なる道に

帰依していく存在だと知るのかもしれません

 

 

科学と信仰は隣り合わせ

私たちは科学というもの、芸術というもの

それらは全く異なる分野だと思いがちです

 

ですが、人類は悟りを深めていくと

科学も芸術も歴史も文学、何かも

神の体を彩る表現手段にしか

過ぎないという事を知る時が来ます

 

神がこの世界を作り、生命を作り

そして、神へと還っていく世界なのです

 

神の花園があって、そこに個性という種を蒔き

芽を出し、つぼみを作り、花咲き

それぞれの個性が花園を彩っていくのです

 

神理(真理)というのも

科学とは相反するもののように

捉われがちですが

科学と神理は一体でもあるのです

 

ただ、地球では分離されているだけなのです

全ての想い、考え、行動には

神理が浸透していなければなりません

 

神理とは神の心を指します

神の想いに沿って生きなければ

全ての存在は滅びの道を辿っていく事になるからです

 

感謝する行為、見返りを求めない行為

家族、友人、隣人、国民、人類を良かれと想う行為

優しい想い、愛という想いや行為は

全て神の心に適っているわけです

 

しかし、あまりに自分中心でいると

神の軌道から外れてしまうわけです

 

不幸というのも、神が罰を与えるのではなく

自分自身の想いや行為によって

苦しみを作り出している状態なのです

 

ですから、科学というのも

神理が浸透していなければ

人類を、地球を滅ぼす道具になりかねないのです

 

進化発展を続ける核エネルギーやAIシステム

神のために、人類のために使えば

それは素晴らしいものになっていきます

 

逆に己の支配欲のために使うと

その文明を滅ぼしてしまうのです

かつてのアトランティスやムーのように・・・

 

それも、この時期にしても同じで

科学と愛と信仰の融合というものが行われないと

科学による自己実現が高まるだけで

滅びに向かうスピードが速まるだけなのです

 

 

一つのゴミが落ちていると、周りにもゴミが落ちている話

昨日は地域のゴミ拾いをした

誰がどうというわけではなく

自ら地球のために、何か出来る事は無いか?と

また行動に移してみた

 

雪解けを終えて4月に一度

大通りのゴミ拾いを行ったのだが

暑い日が続きに続き、9月になってしまった

 

道路の交通整備をされてる方々

郵便配達員の方々

猛暑の中、外で働かれてる方々に

日々感謝しています

 

今回は4月に行った大通りとは

また別の所に来てゴミ拾いをした

 

よく落ちているのは、お菓子の袋、タバコの吸い殻

缶類、ガラスの破片などが多い

 

特筆すべきは警察署、交番の周りには

ゴミが落ちていないという事

バレなきゃ良いという思いが伺えるかもしれない

 

それと、ゴミが落ちている近くには

またゴミが落ちているという事だ

このようなケースとしてある

 

タバコの吸い殻が1本だけかと思うと

近くに2本、3本と落ちていて

さらにお菓子の袋なども散乱している状態だ

 

缶類なら1つの缶を見つけて拾うと

その周囲にも缶や袋が落ちているわけだ

 

最初は小さなゴミかもしれないが

それを放置していると

ゴミがゴミを呼んで悪循環を引き起こすという事

 

近くに山菜が、ワラビやキノコが生えていると

その周囲にも生えている

それと似たような光景が浮かんだ

(山菜に失礼かもしれない)

 

家に帰り、ゴミの分別をした

さすがにペットボトルや缶類は

汚れている物が多かった

 

そのままではゴミに出せないので

水で洗い流した

何か月も放置されて、形が崩れたペットボトルなどは

燃えるゴミとして分別した

 

ガラスの破片は新聞紙に包んで

燃えないゴミとして出す予定だ

 

たとえ、小さなゴミが落ちていたとしても

人びとの心境に影響を与えて

ゴミを捨てても良いという心境を駆り立てるのだ

 

そう思ったなら、小さな、吸い殻のゴミでも

それを放置してはいけないと思ったのだ

 

 

思考よりも想いが現実を作る

己の存在を消そうと

自ら命を絶つ人がいます

現代も増加傾向にあります

 

肉体の命を消しても

自分という意識は消える事はありません

なぜなら人間は、肉体と意識の二つで成り立っているからです

肉体を動かしているのは心です

 

意識というエネルギーが消える事が無いのは

宇宙を構成している一部だからです

 

もし、意識が消えてしまうのであれば

この宇宙のバランスも崩れてしまいます

宇宙というものが存在できなくなってしまうのです

なぜなら、私たちは創造主の、神の体の一部だからです

 

一部であるという事は

私たちは神でもあるのです

神を構成する細胞にも満たない

小さな、小さな存在でもあります

 

しかし、私たちと神の格の違いは

愛と創造力の差です

 

私たちは自分の体を構成する

細胞の一つ一つを愛する事が出来るだろうか

それは地球上の誰もができない事です

 

創造主という存在、神という存在は

この宇宙、星雲、恒星、惑星、人間

動物、植物、鉱物、微生物から漏れることなく

全てを愛しているのです

この宇宙は愛という血液が巡っているのです

 

創造力というのは想いです

想いが根底にあります

 

私たち人間も、何かを実行するときは

必ず想いから始まります

想い→考え→実行という段階を踏んでいます

 

この文明は「考え」という

思考に重点を置いていますから

想いというものを軽視しがちです

 

思考や計算がパーフェクトでも

根底の想いが違った方に向いているのなら

その現実という結果も少しずつズレていきます

 

想いの最終結果というのが現実を作るのです

自分の人生もそうです

あまりドロドロした話ばかり聞いていると

日常的にも、そのような暗い想いを抱いてしまいます

 

そうしていると、自分にも暗い現実を

引き寄せてしまうのです

想いによって未来が変わるので大切な事なのです

 

しかし、文明の末になると

見えないモノが軽視されはじめ

目に見えるモノ、唯物思想になっていきます

 

ですから、ネガティブなモノばかりを

受け入れるのも危険な事なのです

 

創造力を使いこなすという事は

自分の想いという想念を

コントロールするという事になります

 

念力や超能力など

そういった特殊能力は必要なく

ただ、良き未来を思うだけでも

自分の人生や、周りの人びとも変わっていきます

 

自分という存在は

神の体を構成する一部なのですから

想いが変われば、自分や周りも変わるのは

当然の事なのです

 

そのために心というもの

想いの方向性というのは大切な事なのです

 

 

己を正すことで世界は変わる

業とは、通称人間の "ごう" ともいう

前世において肉体修行をしてきた生命にも

あの世で修正するための生活をしてきた者にも

その意識の中には、未だに少しは残っているものである

 

長い年月の間、人類はこりることもない闘争と破壊の歴史

業の歴史を続け、物質文明の名を借りた

破壊文明を築き上げてきてしまったのである

 

すべて原因と結果の法則に従って

私達は転生輪廻をくり返してきたのだが

もはや、人間として、その価値、そして目的を

考え直すときがきたのではないか

 

資本主義といい社会主義というも

すべて物質経済を基盤としての思考であり

精神すなわち人間の心からの考え方ではない

 

物質経済のその上に心を置き替えないかぎり

神意である真の調和は生まれてこないといえる

 

他の動物は弱肉強食の本能性しか持って生きていないが

私達は万物の霊長であり

神仏の子としての神性、仏性を持っており

人類の相互理解と調和の中に

完全なるユートピアは築かれて良いはずだ

 

私たち人間は目覚めなくてはならない

一国家の神格化ではなく、地球人類の神格化にである

 

太陽の熱光は、万象万物に平等であり

決して一国家の独占物でない

神は全人類の心の中に存在するものであり

信心とは、己自身、個々の心を信じることである

 

己の心を悟れば近隣人への調和に進み

さらに町や村の調和に、やがて一国家

全世界の調和へと、発展しつながって行く

 

それにはまず、各人が各人の神性

仏性への悟りから始めねばならない

個々の不調和な業を修正することが先決であり

次に人類の闘争と破壊の業を

調和と安らぎによって修正しなくはならない

 

たとえ小さな種でも、やがて全世界の一粒の麦となるよう

正しい正法の種を人類の心の中に

植えつけねばならないのである

 

一人の悪業の修正が、社会の業の修正となり

やがて人類が再び自然に帰る、という

神理に到達することを思うべきである

 

- 高橋信次より -

 

正法とは神の心

エスも釈迦も、自他の観念で

慈悲や愛を説いたのではありません

自分の中に大宇宙を発見していたのです

 

肉体の自分と、もう一人の自分を知っていました

もう一人の自分は全なる自分です

他人と自分の区別はそこにはありません

 

人を憎むことは、天に向かってツバするのと

同じことになるのです

他人はいないのです

全部自分です

 

しかし、現われの世界では

他人と自分は別々に存在します

だから、その表現は、相対的ないいまわしになってきます

 

「汝らの天の父の全きがごとく、汝らも全かれ」

 

もうこうなると、正法の何たるかが明らかでしょう

道徳は、こうした自他一体の悟りを基点として培養され

相対的な観念を軸に、横に広がったものといえます

 

正法と道徳は別物ではありませんが

しかし道徳は社会生活の規範であるのに対し

正法は、その規範を超えた神の心

そのものであるといえましょう

 

- 心眼を開く より-

 

 

神から与えられた自我

私たちは元々、光だけの存在でした

自分の意思もなく

ただただ、神の体の一部でした

 

しかし、自由意思という自我を与えられて

こうして、自由に想ったり、考えたり

行動したり出来るようなりました

 

神という存在も、最初は

周りを認識する能力がなかったのです

自分自身が存在している事も分からず

無我の状態であったのです

 

それが突然、約8000億年前に

神は自分という存在を認識できるようになりました

自我の目覚めでした

 

神は自分という存在は何なのか?

自分という存在が増えたのなら

それは素晴らしいのではないか?と考え

神は自身のエネルギーを分けて

たくさんの創造主たちを作り出したのでした

 

創造主も私たちから見れば

神といえば、神なのですが

20次元を超える、根源の神も存在するという事です

 

創造主とは、主に13次元の存在

宇宙意識に当たる存在を指すことが多いです

 

このオーム宇宙に存在する私たちは

全てオームの子でもあるのです

なぜなら、私たちはオームのエネルギーから

構成されているからです

 

私たちが人間として、何度も地上に生まれるのは

自我のコントロールをするためです

地上で起こる、山あり谷ありの人生を学び

そこから、正しい生き方を掴み取っていくのです

 

正しい生き方とは、より神の方向性を示すという事です

自分ばかりの事を考えるのではなく

周りのためも想う事が必要になってきます

 

神は私たちに無償の愛を提供しているのですから

私たちも、それに習って生きていく必要があるわけです

 

なぜなら自我ばかりになると

神の中道から外れて、神の光から逸れてしまい

苦しみを生み出してしまうからです

不幸の道筋に逸れてしまうという事ですね

 

無償の愛は24時間降り続けています

根源神から宇宙の管理者へ

管理者から宇宙意識へ

宇宙意識から星雲意識へ

星雲意識から恒星意識へ

恒星意識から惑星意識へ・・と

 

上流から下流へ流れる水のごとく

愛というエネルギーは流動しています

あの光照らす太陽や月のように

24時間、私たちにエネルギーを提供しています

また、地球からも、私たちへ

活動エネルギーが提供されているのです

 

 

地球意識が消失するとどうなる?

私たちは地球の子です

地球という存在を成り立たせているのが

二つの意識、テラとガイアです

 

テラは男性意識として、ガイアは女性意識として

地球という惑星に宿っています

 

鉱物、植物、動物、人間にも

意識が宿っているように

同じように惑星にも、意識が宿っているのです

 

それ故に、地球に住まう者たちは

全て、ガイアとテラの子でもあるのです

 

私たちは母親の肉体から生まれてきますが

その母親も、根源を辿っていけば

地球という肉体から構成されているのです

 

肉体と表現できるのは

その中に意識が存在するからです

もし意識がなく、空っぽの存在だとしたら

肉体とは言えません

すぐに朽ち果ててしまうからです

 

私たちは地球を

ただの水と岩石の塊りだと思い

自分たちだけ良かれと思い

地球を汚しています

 

もし、地球から惑星意識が離れれば

その地球に住む、全ての肉体生命は

死を迎える事になるのです

 

地球が死ねば、それを構成する者たちも

全て死んでしまうのです

 

それは人間も同じで

意識が肉体から離れて

死というものを迎えれば

その肉体を構成する細胞も死んでしまうのです

 

もしこれを信じられるのならば

地球を想うことも可能です

その想いが本物なら、何か地球のためにしようと

自分を表現していけるわけです

 

地球のためになる行為の中でも

ゴミ拾いも大切なことです

得にならない、誰もやらない事を

自分から率先してやっていくと

周りも影響を受けて変わっていきます

 

周囲の人たちもゴミ拾いしてみようと思うわけです

金銭的な特にならないかもしれないけど

その愛の想いや行為というのは

必ず自分の元に還ってきて、気持ちを良くします

 

その愛の想いは見えない力を持ち

どんどん周りに伝導して

ぐるぐると世界中を巡っていくのです

 

愛というエネルギーは血液のように

宇宙を、地球を巡り巡って

また、自分の元に還ってくるという事です

 

そのために一つ一つの地球や人びとを

想う行為と、実践と行動

それは無駄なことではなく

地球を救うピースとなっていきます

 

その地球を救うという青写真

そのパズルのピースが集まり

現実となっていくのです

 

 

前宇宙と今宇宙 光と闇 その2

オームはルシと対になるような存在

ミカを創造しました

光と闇、陽と陰の二つの存在

ミカは赤色光線に属し

正義に通じる心を持っています

 

今宇宙もルシの暗躍によって

宇宙を巻き込む、オリオン大戦が勃発します

 

その時、大きな活躍を見せたのがミカです

エクスカリバーという

魔の力を封じる剣を使って

ルシを取り押さえ、捕縛したのです

 

今宇宙ではご存じのように

闇の勢力ではなく、光の勢力が勝利を収めます

 

そして、ルシとその仲間たちは

裁判にかけられる事になります

彼らの更生を願う者たち、彼(魂)の消滅を促す者たち

様々に意見が別れたようです

 

しかし、オームの意向として

神の赦しの想いに沿い

魂の消滅はしないという方向になりました

 

ルシであろうと、ミカであろうと

どのような人物でも大切な

神の体を彩る、一つのピースだからです

 

ルシを更生させるために

エル・ランティという人物が引き取り

地球という惑星にやってきます

 

そしてミカも同行することになりました

戦争を終えた後も、ルシを止められる者として

エル・ランティらと共に

地球という惑星に移住してきたのです

 

ミカの役目としてか、使命感としてか

そのようなものを背負っているようです

 

後にミカやルシは功績を積み上げ

ミカエル、ルシフェルという名になります

 

名前に「エル」と名が付くのは

神の国を建設するために、大きく貢献した者に

送られる称号のようなものです

 

高次元の存在、天使の名前には

「エル」と名が付くのは、そのような意味があります

 

ルシフェルは何度か地球に転生します

しかし、約1億2000万年前に

サタンという名前に生まれますが

天上の世界に還らず、地獄の底まで堕ちてしまいます

 

そのルシフェルを慕う、かつての力ある部下たちも

共に堕ちていったようです

そのために地球の地獄界というのは

拡大を続けているのです

 

そして、現代に至るまで

地獄界からの影響というのは

大きなものになっています

 

地獄界はどんどん拡大し

地上の人びとの心が曇ることで

それに同通して地獄霊が影響を与えて来るのです

そのような人びとが出す暗黒想念が

地球上を覆っている状態なのです

 

その暗黒エナジー

地球にも大きなダメージを与え続け

瀕死の状態に追いやってしまっているのです

 

かつての、オームの宿った宇宙

前宇宙で起こった戦争で

暗黒エナジーに包まれ、宇宙は滅んでしまいました

 

地球も同じ状態で、物を奪い合い

争いを続けているのです

そのような強い自我の闇の想念が

癌細胞のように地球を覆っているのです

 

今にでも、天変地異を引き起こして

人間の棲む大陸を沈めなければ

地球の存続は危うい状態にあります

 

それでも人類は愛の想いに

立ち返ることを信じて、ギリギリの状態を待ち

地球は苦しみに耐えているのです