Shantra

Shantra Diary

主に未来、精神分野

私憤と公憤の違い

怒りにもエネルギーが存在する

そう、想うこと自体がエネルギーでもある

その想念を一点に集中させたり

自在に操ったりするのが超能力などでもある

 

その怒りの中にも自我と利他が存在する

私憤と公憤というものがある

 

私憤は自分の欲が満たされないから

湧いてくるものであり

周囲に当たる自我のエネルギーでもある

 

公憤とは周りを想う気持ちから湧いてくる

周囲の人を不幸にしている人がいて

その人を非難するということ

そこには自我ではなく

他人を想う心から発生する

 

私憤とは自分の意識が

自分自身に向いているということ

引力でもあるし、闇の部分でもある

 

公憤とは自分の意識が

他の人びとに向いているということ

斥力でもあるし、愛の光の部分でもある

 

奪おうとすることと

与えようとすること

根本的にはそのような想いでもある

 

怒りは破壊のエネルギーでもあり

それだけ強いエネルギーでもある

そのために今の腐敗しきった

日本の政治で怒りが湧き上がるというのは

たくさんあるということ

 

SNSでも自分の考えを自由に書き込めるため

そのような怒りの発言などが目立つ

それらを見ていて、私憤なのか、公憤なのか

焦点を当てて見てみると

自我から来る私憤が多い

 

基本的には想ったこと、行ったことが

後々になって自身に返ってくるので

このようなTwitterYoutubeの書き込みというのも

何かしら自分に作用が起こって来る

 

怒りのエネルギーで限定するなら

怒りは破壊であるから

機嫌を損ねて他人から怒られる未来かもしれないし

自分の大切にしていた物が壊れる未来かもしれない

 

自我の怒りの破壊のエネルギーを

世界中に撒いていたからだ

 

公憤というのは私事ではなく

周りをより良くするために湧いてくるもの

他人思いのエネルギーというのは

破壊のように見えても再生させるエネルギーでもある

 

体に溜まった老廃物を吐き出させて

肉体を新たに再生させていくというもの

そのようなものでもある

 

公憤を世界中に発信していったなら

自身に返ってくる作用というものは

やはり、厳しい目に遭うかもしれない

けれども、その先には光が見えて来る

 

カニが自身の皮を脱ぎ捨てて

脱皮して成長していくような

そのような促しをするエネルギーかもしれない

 

公憤というのも自身を光転させる

一種の手段かもしれない

明るい未来を変えていく

そう思った時に、自身も変わらなければ

行動しなければ、それは不可能でもある

 

そのために、この大激動の時代

変化に対応していくために

想いのエネルギーを

自我の皮を破らなければいけない