Shantra

Shantra Diary

主に未来、精神分野

次元上昇(アセンション)は5次元以上の精神を持つ

地球の残り寿命から計算すると

今この時期に人類は

5次元クラスの精神を持たないと

いけないと言われています

 

惑星にも意識が宿っていて

どんどん膨張して、成長していくという事

惑星の役割は、そこに棲む生命たちに

己を呈して修行場として提供することです

 

巷に言われるアセンション

様々な表現法として使われています

良い列車に乗るか、悪い列車に乗るか

二分化、二極化されるとか

5次元の世界へ行くか、3次元のままでいるかなど

 

真我の心を選択するか、偽我の心を選択するか

それは人びとの自由意思によって成されるのです

 

どれだけ実績を積んでも、自身を表現しても

科学技術がいくら進んでも

人に愛が伝わらなければ意味のないものになってしまいます

 

5次元クラスの精神

神の愛に近づくとは、子どもでも老人でも

誰でも近づくことができるということです

 

あの世の世界を見てみましょう

4~9次元と愛のレベルによって

あの世では6つの階層に分かれているのです

 

善人界と呼ばれる5次元レベルの精神とは

自我を第一に優先することなく

人に何か良いことをしようという想いがある

それが5次元レベルの精神なのです

 

5次元といっても、一括りにできず

それぞれ異なった世界を形成しています

 

農耕を中心とした霊域

ジャガイモなどの作物を育てて

そのジャガイモを自分だけのためではなく

周囲の人たちに分けてあげようという想いが

その人びとにはあります

 

あるいは住宅街

その家の中に、生前に仲のよかった人たち

家族や友人など、一緒に暮らしている所もあります

 

自身の想いによって、その世界というのは

農作物でも、住宅でも、電子機器でも

創造することが出来るのです

想い=エネルギーだからです

 

あの世の世界では、肉体はありません

何も食べなくても生きていけるのですが

地上での生活が染みついて、想いによって

あの世でも地上と似た世界を形成しているのです

 

地上にいる人びとは

5次元の精神性を持って生活すること

その想いによって新しい地球に付いていくことができます

 

ただ私たちは日々、そのような想いを抱いて

生きているのか?と言われると

世界的に見ると、そんなに多くはありません

 

もともと、5次元の精神を持つ魂が

地上に肉体を持って生まれても

子どもから大人になるに連れて

自我の生活に明け暮れて

愛を忘れてしまうことも多いのです

 

日本では特に精神性が後退していて

正しい心の教えを説く人も一般にはいません

学校の先生でも説くのが難しい状態です

 

心が、想いが未来を作っていくわけですから

日本が衰退しているのも、精神性の後退が大きく関わっています

 

もう宗教などは如何わしいモノとして

レッテルが張られています

実際、魔の者が指導者の心に入り込み

正法を曲げていったのですから

当然なのかもしれません

 

何が正しいものなのか?

どの情報が本物なのか?どの教えが本当なのか?

宗教、スピリチュアルに関しても

多くの人は疑念を抱くようになってしまいました

 

ただ単に愛をもって生きること

それだけのことです

難しい技術とか身に付けなくても

何か良い事をしたり、周りの事を想うだけなのです

それは見返りを求めないということです

子どもでもやっている事なのです

 

地上に生まれると、自我に流されやすくなるのです

それは人間たちの作り出す欲望や執着などです

その欲望や執着心に付け込んで

地獄界、魔界の者たちが人びとの心に入り込み

自我の念を増幅させているのです

 

そのために想いの針の方向が、地獄的になり

死後は自身の想いの等しい世界へ向かいます

現代は地獄側へ堕ちる人が急増しているのです

 

地上にいると周りの環境などで

自我の生き方に引っ張られて

自分もそのようにならないように

気を付けなければなりません

 

一番早いのが、死後の世界はあるということ

死んでも肉体が滅ぶだけで意識は消えないということです

なぜなら、神から分かれ出た

かけがえのない一つの個性は、あなたなのですから

 

神と全ては繋がっていて、誰もが必要とされていること

これらを信じられれば5次元以下の生活はしないでしょう

 

愛なく自我ばかりで生きていると

死後は上の世界ではなく、下の世界へ行ってしまうのですから

それを信じられるだけでも、私たちの生活は変わります

 

多くの人が3次元的な生き方をしているのは

この世だけが全てだと、死んだら終わりだと

そのように思っているからです